アメリカで導かれた不思議なハーブとの出会い

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ある意味ではラッキーなことに、私は小さい頃から、9年ほど前までずっと、通常では考えられないほど病弱だったことは述べました。

まざまな検査、体質改善法、治療法から、そして病気を治すというヒーラーのお世話にまでなりました。バイオキニスオロギーという治療法では、高価な栄養剤を1日100錠も飲み、食事も効果があると言われれば、魚と白米だけの治療をつづけたこともあります。

でも、健康には程遠く状態が改善されることはありませんでした。しかし9年ほど前、画期的な転機がやっと訪れたのです。それは私にとっては事件でした。私の人生はいつも不思議な糸で導かれているような、まったく想像を絶することの積み重ねだとあらためて思います。

その出来事もごみ箱に捨てようとした1枚の銀行からのハガキが発端でした。郵便物に紛れ込んでいた広告のハガキを捨てようとしたとき、私がアメリカで仕事をしていく上で、何から何までボランティアで指導してくれていた、今は亡き人生のメンター(師) の声がそっと聞こえてきたのです。「銀行は大切だよ」と。あわててそれを拾い上げるとそれは銀行からのハガキでした。

好奇心から電話、そしてそこからいろいろな人とつながり、結局はある裁判官の選挙のパーティーに出席することになったのです。パーティーで出会ったハーブの食品が、私と多くの人達の人生を変えることになろうとは夢にも思いませんでした。

そのパーティーに集まったひとりのカイロプラクター(日本の整骨医のような職業) が、自分のすごい体験談と共に、あるハーブの商品サンプルを配っていました。好奇心いっぱいの私錦は、すぐ試してみることにしました。私は早速その会社の抗酸化剤を取り寄せ飲んでみたら、二〇日くらいで私が今まで何をやっても駄目だった健康問題の、ほとんどが解決されてしまったのです。

私は驚きを通り越して唖然。私は喜びと感動で周りの友達や日本の家族に言いまくりました。すると、試した人達に、すごい結果が出たのです。母は某栄養食品を20年近く飲んでいたのに、夜眠れず、睡眠薬を飲んでいたのが、即いらなくなりました。

また60年来の酒好きで糖尿病の父の血糖値が120mg/dlまで落ち、栄養のバランスがとれて体が安定したせいか、そ切後しばらくしてお酒まで飲まなくなってしまったのです。

弟の慢性化していたひざの痛みが消えましたし、知り合いのアトピーも消え、また母の友達で鼻炎で二五年間臭覚のなかった人も一カ月で臭覚が戻りました。私の主人も、医者も手立ての方法がなかった三つ年来の背中のかゆみもとれ、二五年間薬を飲んでいた鼻炎と蓄膿症も治り、昔傷めたひざのケガの痛みが消えました。どのケースもノカ月以内という短期間で改善されたのです。私は大感激で、すぐに会員になり、多くの人々に言い回り、3ヶ月目にして10万人の会員の中で売り上げトップになり、5年間ずっとトップでした。

説明会のために、アメリカ中を何度も回り、多くの人に会い、さまざまな人々にアドバイスをしてきました。固定観念も、先入観も何ももたずに、勉強し、模索しながら健康問題の相談に取り組んできた結果、数えきれないほどの人々を元気にしてきました。これらの数えきれないほどの人々を元気にしてきた体験が、「日本はこのままでは大変。早く、多くの人に自然の方法で超元気になれることを知らせなくては」という思いへ発展したのです。もし、あのときメンターの声に逆らって、捨てたハガキを拾っていなかったら、私はもちろん、家族、友人達は元気にならなかったでしょう。

また、今回の「日本を元気にする運動」など、考えも及ばなかったのです。人生とはほんとうに面白いものです。私はこの一件からも、自分の心の声、良心の声に素直に、正直に生きることが、どんなに大切かを知らされました。良心にしたがって精いっぱい生きていけば、何の心配もいらないし、すべてがなるようになるという生きる英知とコツを教え訂られた事件でした。