日本の医療の未来を考える

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医療費削減に取り組むことは重要?


みなさんも毎日のニュースや新聞、ネットのメディアでもご存じのように、政府は今、なにがなんでも医療費を抑えようと必死です。

しかしながら、よく考えてみるとそれはあまり得策ではありません。おいしい患者さんをそのままにしておきながら医療費を抑制しょうとしても、かえって日本の医療がますます荒廃するばかりです。医者は、利益率のいい治療に経営資源を投入しているのです。
つくられたおいしい患者とは?

それはどういうことかと言いますと、医療費を抑えようと、診療報酬を削減すればどうなるでしょうか?
表向きは医者もお上には盾をつくことは難しいですので、あからさまに反旗を翻すことはしないでしょうが、医者連中もそれほど頭は悪くありません。

そうすると、新たに病人をつくつたりして、さらにおいしい患者さんを確保するように動くでしょう。そして、確保したおいしい患者さんを目いっぱい活用する手立てを模索するはずです。

結局は医療費の無駄遣いを助長することになるだけでなく、本来、治してあげなければいけない患者さんたちが、ますますなおざりにされてしまいます。

また、そもそも医療費を抑えなければいけないという理由もはなはだ希薄です。先進国と比較してみても、日本の医療費(たとえばGDP比) は非常に少ないことは世界的にはよく知られている事実です。

医者の数も少なく、医療費も非常に低く抑えられているのが日本の医療の現状です

医療費そのものは国の安心度を測るいい物差しだと思います。医療費にこそお金をかけなければ、どこにお金をかけるのでしょうか。

不必要な公共事業、無能な公務員や政治家にお金をかける方が、よほど無駄というべきではないでしょうか。

ちなみに日本の公共事業費は、先進各国と比べても異常なほど巨額で、このことは世界的にも有名です。

科学の進歩とともに医療技術も進歩していきます。それに乗じて、今までやらなかった検査や治療をどんどんやるようになり、医療費が高騰します。そうすれば、特に無駄遣いをしなくても、おのずと医療費は増えるに決まっています。並行して、患者さんが作為的にどんどん作られているわけですから、医療費が増えるのは当然と言えるでしょう。

医療システムを変えることが、もし可能であれば賛同しますが、「医療費を削減するために」という名目であれば、いささか論点がずれているのではないかと思います。ましてや老人医療費を削減してみても、医者の診療報酬をいじってみても、医療費削減にはあまり効果がないはずです。

「おいしい患者」の弊害


自ら治癒することを放棄してしまった患者さんは、当面は医者連中にとって非常にありがたい存在です。端的に述べますと、こうした患者さんは、医療費の無駄遣いに当たります。本来ならば、医者にかかってもかからなくても治りうる人たちですから、医療費を使った分だけ、無駄遣いをしたことになります。

まさしく税金の垂れ流しということになりますので、自分で自分の首をしめていることにもなります。さらに、治癒力を内包しているのにそれを使わない患者さんは、医者の手助けがどうしても必要な患者さんの邪魔をすることになってしまいます。そのような患者さんが診療時間の多くを占めますので、それは明らかなことでしょう。

つまり、本来治してあげなければいけない患者さんたちの治癒を妨げているということになります。そのような患者さんが医院や病院にわんさと押しかけると、本来治療が必要な患者さんが、なかなか医者に診てもらえないことになってしまうのです。

みなさんも最近、「がん難民」という言葉を聞くことがあると思います。要するに、がん患者さんと正面から向き合い、真撃に治療にあたっていこうという志の高い医者が少ないために、行き場に窮したがん患者さんが増えているという現象なのですが、まさに医療機関の経営者にとって都合の良い「おいしい患者」の存在がその原因です。

さらに、先ほどのことと関連するのですが、こうした「おいしい患者」の存在は、医者の多くをやりがい派から割り切り派へと変えてしまうことになります。はじめはやりがいを求め、命を救うことにがんばろうと燃えていた若い医者たちも、風潮のせいもあって、医者がいなくてもいずれは治るカテゴリーl の患者さんを対象にしなければいけなくなつてしまいます。そのために多くの若者がやりがいを失い、割り切った生き方を余儀なくされるのです。

「おいしい患者」がいなくなると医者は困るのか


「おいしい患者さん」であり続けることのデメリットはよくわかっていただけたと思います。

それでは、そうした患者さんがいなくなると医者は困るのでしょうか?一時は少しばかり困ることがあるかもしれません。それなりに心の切り替えも必要でしょう。しかし、結局は困らないようになるはずです。医者もそれほど愚かではありませんから、「おいしい患者さん」がいなくなっても、きっと新たに生きる道を見つけるに違いありません。そもそも私自身が医者のはしくれですし、わざわざ自分の首をしめることを提案するほどのマゾヒストではありません。

また、失礼ながら「おいしい患者さん」を救いたいがために、この文章を書いているのでもありません。

私がこの本を執筆した思いは2つです。1つは、カテゴリー2をカテゴリー1に、カテゴリー3をカテゴリー2 、ひいてはカテゴリー1にしなければという思い。カテゴリーについてはこちら

そして、もう1つは、医者が本領を発揮できる環境がもう少し整い、快適に診療や研究に没頭できるようになればという思いからなのです。

カテゴリー2 に属する患者を治すこと、あるいはカテゴリー3の患者をカテゴリー2に変える研究には、お金と時間もさることながら、非効率に対する寛容さが必要です。

薄利多売の今の医療構造、合理化を求めてやまない医療費抑制政策の下では、決してかなうことはない命題です。たとえばがんを例に挙げてみましょう。Ⅰ期など早期の場合は別にして、Ⅱ期の後半からⅣ期にもなれば、既存の手法(手術、放射線、抗がん剤)、既存の標準治療(さじ加減をしないマニュアル通りの治療)だけでは再発や転移を完全に抑えることは難しいのが現状です。現に、半数以上の方が3年以内に、再発や転移に見舞われているのです。

決して安心できるがん医療環境ではありません。再発や転移に見舞われた人たちも遅ればせながら、既存の3大治療以外の手法も必要ではないかと気付くのですが、主治医がその気付きを粉砕してしまいます。

そして「がん難民」が行き場を求めて街にあふれて途方にくれているのです。3大治療は単なる時問稼ぎの手段です。したがってマニュアル通りの3大治療だけでがん(慢性疾患すべてにあてはまりますが)が治ると考える方が、私は間違っていると思っています。

がんを治癒に導くためには、どうしても個人個人に即した、細やかなさじ加減が必要ですし、並行して、メンタルケアや栄養改善、そして血行改善や自律神経バランスの是正などを行ないながら、自己治癒力を高める手法を施す必要があるのです。中等度に進行したがん、再発や転移したがんは、マニュアル通りではなかなか治りません。

それぞれの手法のいいところをうまく組み合わせる技が新たに必要になってくるのです。その患者さんに合った手術、抗がん剤の選択とその投与量、投与方法、放射線の照射量、照射方法、並行して行なう中医薬の選択、代替療法の選択、そのすべてをうまく組み合わせることが不可欠になるのです。

そうすることによって、治癒率を格段に高めることができますが、お金、時間、マンパワーと、非常に手間がかかります。効率化を求める現在の風潮とは相いれないのは確かです。研究に関してもそうです。本当に治さなければいけない疾患を対象にした研究は、効率化とは対極の営みです。企業も国も、手間暇のかかる研究にはお金を費やそうとはしません。治癒が難しい疾患はまだまだたくさんあります。

進行したがん、神経麻痔、視覚障害と枚挙にいとまがありませんが、こうした疾患をなんとかして治したいという志の高い医者は、決して少なくありません。優秀な頭脳を持つ医者が数多くいるのも事実です。しかし残念ながら、彼らにはその強い思いと卓越した頭脳を発揮する舞台がないのです。莫大な権力とお金が手中にあれば、この2 つの思いは容易にかなうかもしれませんが、そうではない私には別の方法を操るより仕方がありません。

この2 つの思いを少しでも実現に近づける妙案はないものかと思いあぐねているうちに、「おいしい患者さん」をなくすことが最も現実的で、しかも誰にとってもメリットがある方法だと思いついたのです。正しい方法が仮にあったとしても、メリットがなければ人は実際には動きません。正義や道理だけでは、理解は得られても、人が動かないことはみなさんもよくご存じだと思います。

また、既得権益を持った人たちがいる限り、なかなか事を大きく変えることは難しいものです。ただ、ひとりひとりがメリットを個人的に感じて、行動に移すことができるならば、可能性は大きく広がります。まさしく「おいしい患者」の去就は、これからの医療・医学を決定付けるキャスティングボートを担っているのです。

そもそも、カテゴリー2がカテゴリー1になり、カテゴリー3がカテゴリー2やカテゴリーⅠ に変わることは、共通の悲願でもあります。そんなプロジュクトに参加でき、生活の心配もなく、思い切り研究や臨床に没頭することができるとすれば、医者冥利に尽きるというものです。

ただ、そうしたいけれど、忙しくて、生活に追われて、そうはできない自分にジレンマを感じている医者も数多くいるはずです。やりがいの薄い仕事が減ることによって、むしろやりがいのある仕事が増えるのであれば、医者たちはきっと喜ぶはずです。もしもそう思わない医者がいたとしたら、それはもうすでに医者ではなく、ただの商売人ですから、困ることになってもかまうことはありません。かえってて無用な医者が淘汰できて万々歳です。

きっと、医療が変わる


多くの医者が、今の医療システムをあまり快く思っていないのは明らかです。それはもちろん自身のデメリットを考えてのことではなく、患者さんのデメリットを優先的に考えての話です。

しかしながら、一介の医者が今の医淵療を変えてやろうと意気込んでみたところで、実際には無力です。何もできないという事実を、私をはじめとして医者はよく了知しています。大声を上げれば上げるほど、個人的には不利になります。国家権力に盾をついてみても、何も得をすることはありませんし、逆に痛い目にあうのが関の山です。

私自身も、今の医療を正義や道理だけで変えられるとは思いませんし、変えようとも思っていません。それは、変えることが不可能だからという理由だけでなく、無理やり変えてもあまり意味がないと考えるからです。今の医療を変えることを考えるよりも、変える目的が何かということを明らかにすることが先決です。

何度も繰り返しますが、私はひたすら、カテゴリ1、2の疾患が例外なく確実に治ること、カテゴリー3 がカテゴリー2に変わり、やがては容易に治るようになることを願っているだけなのです。

握手されたから選んでしまう、つき合いで選んでしまう、見た目だけで選んでしまう、有名だからというだけで選んでしまう...など、でたらめな理由ででたらめな代議士を選んでいるから、でたらめな議会、政府が出来上がっむくてしまうのです。

そしてでたらめな政策によって、結局は無垢で「おいしい選挙民」は、自分の首をしめることになつてしまうのです。

富裕層や、それにたかる政治家・官僚は、どう料理しようかと、いつも「おいしい選挙民」を狙っています。その彼らの思うツボにはまってしまうと、お金はもちろんのこと、命まで吸い取られてしまいます。結局は、「おいしい選挙民」が数多くいる限り、社会は変わらないということになるかと思います。

そろそろ話を元にもどさなければいけません。もしも、「おいしい患者」が目覚め、「おいしい患者」を自らやめてしまえば、明らかに今の医療システムは成り立たなくなりますので、薄利多売の悪しきシステムそのものが変わらざるを得なくなります。医療費を削減する必要はないというのが私の意見ですが、「おいしい患者」がいなくなれば、少なくとも現在の3兆円の半分以上は不要になります。

そうなると、たとえば外来診察の人数を1 日5人から多くてせいぜい10人で、十分採算が取れるようなシステムにする必要性が出てきます。1日に5〜10 人という人数であれば、人と人とのコミュニケーションが可能になるでしょう。

医者には時間的な余裕が生まれ、自分の納得のいく医療を思う存分展開することが可能になります。医者のやりがいは非常に高まり、尊敬度も大幅にアップするに違いありません。がんをはじめとする慢性疾患は、たとえ同じ病名であっても、みんなが同じ病態ではないのですから。ゆっくりと患者さんと向き合い、その人に合った自己治癒力を高める方法、治療方法を一緒に考えていくこともできるようになります。

きっと、カテゴリー2 の患者さんをじっくり診ることが、臨床医の本来の仕事になるでしょう。また、カテゴリー3をカテゴリー2 に変える研究も進んでいくに違いありません。

現代医療を読んでからだと理解がより深まります。

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