大黄(だいおう)という生薬には、瀉下(しゃげ)作用があることがよく知られている。しかし、案外これが向精神薬的な作用をもっていることを知っている人は少ないかもしれない。
桃核承気湯(とうかくじょうきとう)や大承気湯(だいじょうきとう)という漢方薬の名に含まれている承気(じょうき)には気を巡らすという意味があるのだが、大黄(だいおう)や芒硝(ぼうしょう)が単に瀉下(しゃげ)作用だけでなく、心を意味する『気』や精神にも作用するという薬効にもとづいて名付けられたのだ。
数年前に私のところで診察した50代男性の患者は、他の病院で診てもらっていた頃から、向精神薬を数多く処方されていた。その患者は「どうしても頭がぼーっとして、思いどおりに体を動かすことができない」と訴えていたのだが、その行動を緩慢にしていたのは、いくつも服用している向精神薬のせいでもあったのだろう。とりあえず、現在のんでいる昼の薬の一部を減らしてみようと考えた。薬を減らしてからは眠気が減り、何かをするにも集中できるようになったのだが、しばらくすると、また調子が悪くなってしまった。
その後、便秘や腹痛もあったため、患者に大承気湯(だいじょうきとう)の処方を加えてみたが、結局、そのときはうまくいかなかった。
漢方薬にしろ、西洋薬にしろ、患者からの訴えが増えるに連れ、つい薬の種類も量も多くなってしまいがちだ。薬に頼るのが好きな我々日本人の性格が、さらに拍車をかけているのだろう。
漢方ではさじ加減という操作ができ、薬の処方に加減ができる。しかし、最近ではエキス剤が多いため、加法はできても減法ができないのだ。西洋薬の場合は錠剤が多いためにいずれも簡単だが、病気の進行に合わせ薬も増えていく傾向がある。
これは、日本の現代医学にきちんとした処方学が無いことに起因している。日本の診断学は互いに共通点があって、テーブル上でのディスカッションができるが、処方学のことでこういったことは、まず無い。つまり、現状では、薬剤の処方については個々の医師の裁量に任されているのだ。私にとって大切な参考書は、現在でも先輩方の処方である。
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漢方薬を使ったうつ病の治療ではなかなかうまくいかないこともありますが、うまく治療がすすむ例ももちろんあります。
サラリーマンで車関係の大きな会社に勤めている、40代半ばの男性、Aさんの話です。
うつ病だと診断されてから三年が経つというAさんが、ある年の秋、「いまひとつ治療がうまくいっていない」ということで、漢方薬の治療を希望して、私の病院にやってきました。
話しを聞くと、「治療の途中に一年間休職してしまったが、現在ではなんとか仕事をこなしている」ということでした。しかし、Aさんは続けて、「まったくやる気が出なくて、仕事も毎日仕方なくこなしている状態なのだ」と言いました。
Aさんは、比較的大柄な男性で、症状としては、動悸が強くて、すぐにイライラする、目覚めが悪く、午前中は気分がスッキリしないことが多いのです。加えて、疲れやすくて体がだるく、耳鳴りや軽い便秘もありました。
脈をみてみると比較的力のある実脈で、本来ならば風邪をひきにくい体質だと考えられます。Aさん自身も、「体の疲れはあるがそんなに風邪もひかず、自分でもそれほど弱っているとは思えないのだが、なぜか疲れがとれない」と言っていました。
こういった場合には、心の病気に焦点をあてて謎を解きながら治療をすすめていくのですが、Aさんは既にうつ病と診断されているので、私は治療に専念することにしたのです。
Aさんの場合、舌診では、舌質は厚く、舌の真ん中がやや黄色がかった厚い苔(こけ)で覆われていました。このことから、体が水毒体質で、新陳代謝が悪く余分な水分が溜まりやすい、病気が長い経過をたどっていることが推察できました。お腹には比較的力があって、全体像から肉体的にはそれほど問題はないと思いました。
Aさんが持参していた薬は、抗うつ剤が2種類、安定剤が1種類で、うつ病の治療薬としては、スタンダードなものでした。その薬はそのまま続けて服用してもらい、新たに、柴胡加竜骨牡蠣湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)と香蘇散(こうそさん)のエキス剤を、常用量の半量にしての併用で処方しました。
それから2週間後、Aさんは、「先生、気分がいいよ!」と言いながら、とても明るい表情で、診察室に入ってきました。以前は調子が悪かった午前中もスッキリするようになり、寝つきが良くなっているということでした。
以来、この1年ほどは、基本的に同じ処方をしています。