原点回帰ということで伝統的な日本食ばかりでしたが、日本食以外の
食材にも、優れたものはたくさんあります。

その代表である3つの食材にスポットを当ててみましょう。

  • オリーブオイル
  • トマト
  • にんにく

です。

お気づきですか? これはイタリア料理の三大食材であり、国旗のカラー(緑・赤・白) にも重なります。

玄米ごはんや根菜の味噌汁、漬け物などの日常食にもう少し彩りを加えて、もっと料理の幅を広げたい時は、これらを上手に活用するのがおすすめです。

なかでもオリーブ油は、酸化しにくい性質なので、サラダのドレッシングのみならず加熱調理にも適しています。質の高いエクストラバージン( 一番搾り) のオリーブ油を常備して、野菜を妙めたり煮込んだりする際に使うといいでしょう。質のいいエキストラバージンオリーブオイルは腸ストレス解消にも役立ちます。

煮込みにオリーブ油なんて意外かもしれませんが、これが美味しいのです!たとえば、タマネギとニンニクをオリーブ油で炒め、ニンジン、ジャガイモ、セロリ、ざく切りのトマト、きのこ類などをたっぷり加えて10分ほど着込むだけで、イタリア料理の定番「ミネストローネ」が簡単に作れます。寒い冬などは体が温まります。にんにくの香りが食欲をそそります。

ポイントは、トマトで煮込む際にオリーブ油を多めに振りかけること。煮込んでいくとスープと一体化してコクが出るので、肉や魚を入れなくても、塩こしょうだけで十分に味がまとまります。塩は少なめにすると素材の味がひきたちます。イタリア料理の場合、最後に粉チーズをかけると適度な塩分が加わり味の完成度が高まります。にんにくを炒めるときにわずかいいので鷹の爪を入れてもいいでしょう。

とろみとボリュームを出すために、1つかみの押し麦を加えてもいいでしょう。「オリーブ油・トマト・ニンニク」を活用した料理は、日本の食生活が欧米化するなかで広まったものです。

街なかのイタリアンレストランの数の多さを見ればわかるように、それだけ私たち日本人の口にあうのです。バターをたくさん使うフランス料理も悪くありませんが、日常食として考えた場合、イタリア料理のほうがなじみやすいでしょう。

その意味では、「日本にないものをイタリアが持っている」と考えてもいいかもしれません。最近は、オリーブ油をより大胆に使う「スペイン料理」も人気を集めるようになってきました。こうした視点で世界各国の料理を眺めていくと、その長所がうまく取り入れられ、食卓が豊かになるでしょう。食の欧米化というと、あまりいいイメージがないかもしれませんが、「いいところ」もたくさんあるのです。

ちなみにミネストローネは玄米を主食にしてもベストマッチです。玄米というとみそ汁がワンセットのイメージがありますがそんなことはありません。

ご飯&味噌汁で原点回帰

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主食である「ごはん」にこだわることが植物の力を見直す第一歩だとしたら、次のステップはいよいよ「微生物」です。

「微生物」とは菌、そう、「発酵食品のこと。ごはんとの組み合わせで考えた場合、大事なのは、やはり「味噌」でしょう。

こうじ味噌は原料である大豆、コメ、ムギなどを麹で発酵して作り、長期間発酵させるほど大豆のタンパク質の分解が進行して、腸と相性がいい食品に変化していきます。

味噌の驚くべき著効

タネ、つまり大豆に濃縮された栄養素が吸収しやすくなるほか、味噌のなかに棲みついた有用な善玉菌もー緒に取り込めるため、腸管免疫が刺激される利点もるでしょう。

伝統的な日本食は、これに糠漬け、たくあん、野沢菜のように発酵を利用した「漬け物」が加わります。植物のタネ(生命)であるコメを主食にして、大豆や野菜などの発酵食品(味噌汁・漬け物) が脇を固める、この組み合わせこそ、日本食のすごみなのです。

発酵食品は、その塩分量の多さが問題視されることがありますが、「塩分の摂りすぎは高血圧につながる」という明確な科学的根拠があるわけではありません。そもそも、製法によって塩の質が大きく異なる以上、ひとくくりにして「体にいいかどうか?」を論じること自体がナンセンス。

しかも、減塩にこだわりすぎるとあんばい料理の味加減(塩梅) がわからなくなり、味覚が鈍くなるという問題も生じます。

大事なのは塩分の量などではなく、「原材料の質」にほかなりません。味噌や醤油を選ぶ時は、必ず商品に表示されている「原材料」をチェックして、なるべくシンプルなものを選んでください。味噌は、「大豆、コメ、ムギ、塩」が基本原材料です。

添加物の多い味噌は、大豆を発酵させるところにパワーの源があるので、こうした発酵度の低い味噌は、腸と相性がいいとは言いにくい面があります。発酵は時間がかかるのが普通です。「1年以上熟成させたもの」がいいでしょう。味噌のほか、質にこだわりたい常備食は、オリーブ油、アマニ油、梅干し、梅酢、黒酢、もろみ酢、にんにく、自然塩、塩麹、味噌、昆布、しいたけ、煮干しです。

ご飯、味噌汁の食生活にかえて常備食を上手に使い回してその上で便秘が治らないときには体が冷えていないかよく考えてみてください。

下半身からくる冷えに注意

「米にこだわる」が質をあげる

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「これさえあれば元気になれる」という食材が身近にあることは、コンディションを整える大きな助けになります。そこに「毎日食べるもの=主食」の重要な意味があることを理解しましょう。

ですから、主食のコメにはこだわってください。水に浸ければ、ちゃんと発芽する「質の高い玄米」は、炊き上がりもふっくらで、じみとても滋味があります。

日本人はコメを主食にして数千年にわたり生き続けてきたわけですから、その重みをしっかり感じ、その原点であるコメから「植物の生命」をいただくことをもっと大切にしてみてはどうでしょう。

そのためには、高い意識で農業に取り組んでいる人を探して、個人単位でつながっていくことも必要になってきます。

もっと亭えば、そうした農家を応援することが必要。せめてコメや味噌くらいは、本気で「本物」を探してみましょう。

ビジネスシーンに置き換えれば、最も重視されるのは人脈でしょう。いかに優秀な人材を集めるか、多くの人がその点に腐心していると思いますが、それは「食べるということ」に関してもまったく同じです。仕事では人のつながりを大事にするのに、食べることになると、できあがった物ばかり見ていませんか?

おいしいかどうか、食べたいかどうかだけでお腹を満たすことは、商品の背後に人が存在していることを忘れてしまっているのと変わりありません。自分の体を養うことにも仕事と同じような情熱を持つことができれば、自分自身が培ってきた「人を見る眼」を活かすことができます。人とつながることで、植物たちとの関係も回復していけるはずなのです。

まるごと食べる習慣を

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では、どうしたら生物としての感覚を取り戻し、自らの生命力を高めていくことができるでしょうか?

「動物は、植物を食べて生きている」という原則を思い出せば、ポイントは、植物との関係の見直しであるとわかりますね。植物を自然に近い状態で食べることを、どのくらい実行できているかチェックしてみてください。

その1:「丸ごと食べられる」野菜の量を増やす。

サラダなどに使う葉物の野菜は、エネルギー源になる糖があまり含まれていません。光合成によって生み出うれた糖(養分) を摂ることが植物を食べる目的ですから、糖を多く含んだニンジン、大根、里芋、ごぼうなどの根菜をしっかり食べること。

その2:「白米のごはんを、玄米に変える」。

もし、難しければ、押し麦や雑穀( ヒエ・アワ・アマランサス・チアシードなど)を加えてみる。白米をやめたくない人は、粉物のパンや麺類を減らして、なるべくごはんを食べる。

コメやムギも植物ですから、広い意味では野菜の一種ですが、白米や白いパンはこの「丸ごと植物を食べる」という概念からは外れます。砂糖も、もとは植物ですが、自然な状態から遠ざかりすぎていて、ミトコンドリアで思うようにエネルギーにできません。「自然に近い状態= 丸ごと」を前提にすることで、こうした食べ方のルールがだんだんと明確になってくるでしょう。

その3:「質」を上げていく。

徐々に、無農薬・自然栽培の野菜や果物を選んで食べてみる。生で食べて美味しい旬の食材を取り入れていく。最初のうちは、「安全」「安心」といった基準を参考にしても構いません。それも結局はアタマで食べていることに変わりないわけですが、食事のあり方について考えるひとつののきっかけになるでしょう。

自然食について詳しくなったとしても、それが「正しい」とアタマで判断して食べているかぎり自然とは言えません。感じる世界は、「正しさ」とは別のところにあります。

自分が身につけてきた思考の癖に気づいて、この世界にあるものを善と悪、正しいと正しくない、体に良い・悪いといった二元論でとらえる不自然さに気づくことができた時、ハラの世界のスイッチが入ります。少しずつ感覚を磨いていくことで、あまり神経質になることなく食べ方を変えていけるはずです。

まずいものでは元気になれない

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すべての食べ物に固有の「生命」が宿っていることを考えれば、ほかの野菜や果物にも同じことが当てはまるはずです。

大事なのは、こうした視点です。玄米のように発芽させて判断することは難しいでしょうが、硬くてまずい玄米が市場に出回っているとしたら、同じように「生命力が低い野菜や果物」が出回っていたとしてもおかしくはありません。

多くの植物の生命力そのものが落ちてしまっている。それなら当然、それを食べている私たちの生命力も落ちていることになります。結局のところ、ここに大きな問題があるのです。

「病気にかからない」「体調が改善される」ことも、もちろん大事ですが、ヒトを生物の一員であると考えた場合、それ以上のものを欲求している自分がいるはずです。もっと快適に、周囲と調和しながら心地よく生きていきたい。もっと能力を発揮し、自分の可能性を広げていきたい。

自分の本心に従って、自分らしく生きていきたい。生物は食べることでエネルギーを生み出し、快を求めて行動し、増殖しながらここまで生き続けてきました。それが細胞それぞれに宿った「究極の本能」であることを、誰もが心の奥で感じているはずです。

食べることも、食べ物を求めて動くことも、不要なものを排泄することも、すべては「快」につながっています。そうした「快」を取り戻すこと、つまり生命力を回復し、高めていくことが「体が本当に望んでいること」であり、「食事」も、そのような生物に回帰していくアプローチの1つとして重要な意味を持ってきます。

大切なのは、「生命力」という視点であって、玄米菜食を取り入れるかどうかはその手段の1つにすぎません。精製した白米よりも未精製の玄米のほうが「タネ(生命) に近い= 生命力が高い」という言い方はできますが、あまりこだわりすぎると頭でっかちになり、逆に食べ物の生命は感じ取れなくなってしまうでしょう。

おいしい玄米、おいしくない玄米

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発芽と言っても、あまり芽が出てしまうとタネの栄養素が使われてしまうため、発芽玄米のごはんを作る場合、胚芽からほんの0.5ミリほど芽が出れば十分と言われています。

夏場なら半日、冬場でも一昼夜(10 ~12時間)水に浸すだけで、芽は自然と出てきます。もし、芽がなかなか出てこないなら、種の生命力が弱いということ。

「玄米ごはんは硬くてまずい」という話を耳にすることがありますが、もしかしたらそれは発芽もできない「生命力の低い玄米」だからかもしれません。そうであるならば、当然、消化にもいいはずはありません。

フィチンのガードも十分に解除できないため、無理に食べ続ければ慢性的なミネラル欠乏に陥いる恐れもあるでしょう。

そうした玄米は美味しくありませんから、そもそも食べる意味があるのかという話になりますね。しっかり発芽する「生命力の高い玄米」であれば、栄養価が高いのはもちろん、タネの持っている硬さが除かれてふっくら柔らかく炊き上がり、味わいも増してきます。

圧力釜や土鍋などにこだわらなくても、「玄米モード」のついた炊飯器で十分美味しく炊けます。最近は、炊飯の過程で玄米を発酵させ、消化レベルを高める「酵素玄米」を取り入れる人も増えています。専用の炊飯器で手軽に作れるようですから、試してみるのもいいでしょう。

玄米が炊ける炊飯器はこちら。

玄米を発芽させる意味と必要性

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物を食べたり、飲んだりするときに「生命をいただく」というのはよく言われることですが、これは何やら抽象的ですが、「生命= 発芽するもの」と考えるとイメージしやすくなるかもしれません。つまり、食べ物が生命であることを確認する一番わかりやすい方法が、「タネを発芽させる」ということ。でも、タネに「生命」が宿っているのはわかるとしても、それを体に取り入れることなどできるのでしょうか?

ここで考えたいのは、玄米とフィチンの関係です。玄米には豊富なミネラルが含まれていますが、それはほかの生き物のために用意されているのではありません。タネ自身を育てるためです。そして、タネが硬い殻におおわれているのと同様に、ミネラルも簡単に外敵に奪われてしまわないように、フィチンという物質でガツチリとガードされているのです。

玄米をただ炊くだけでは、このガードは十分に解除できません。また最近では、玄米に含まれるアブシジン酸という発芽を抑制する物質が、体内ではミトコンドリアの働きを阻害する毒になる点が指摘されています。こちらもただ炊くだけでは毒性はなくなりません。

つまり、玄米がいくらミネラルが豊富であっても、それが吸収できるとはかぎらず、害になる恐れすらあるわけですが、対処法はあります。玄米をほんの少し発芽させると酵素が働いて、フィチンのガードが自然と解除されるほか、アブシジン酸の毒性も除去されるのです。ガンマ面白いことに、こうして発芽させた状態の玄米は、ギヤバ( γアミノ酪酸) のような栄養素が増えることもわかっています。

発芽した以上、タネの生命力が増しているのは当然のことであり、それは玄米に含まれる栄養素にもハッキリと反映されます。もちろん体にもプラスに働くでしょう。間接的ではありますが、「生命力の高いものを食べることが、生命力を高める」ことになるわけです。

植物のタネには「生命」がいっぱい

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一物全体食とは、いまでいう「ホールフード」のことです。これは一般的な栄養学のとらえ方とは、かなり異なっています。

栄養学では食べ物に含まれる成分のひとつひとつを分析することでその働きを調べていきますが、そうやってバラバラにした成分をつなぎあわせても「生命」が生まれるわけではありません。

食べ物を「栄養素の集合体」ではなく・1つの「生命」としてとらえる。ホールフードの原点もここにあります。成分を分析するだけではとらえきれない生命のありようを前提にした場合、むしろホールフードの発想のほうが当たり前かもしれません。

つまり、食養の世界で白米よりも玄米がすすめられたのも、精製していない玄米のほうが栄養価が高いからではありません。栄養価だけを問題にするならば、ほかの食材で足りない栄養素を補えばすむことですが、そうやってバランスを取っても部分が全体になるわけではない。

つまり、ほかの食材でも補いきれない何かがある。その補いきれないものが、生命なのです。コメは植物のタネであり、そこには当然、生命が宿っています。土に埋めて水をまけば発芽する以上、生命は内包されているでしょう。

これが、「コメから生命をいただく」というホールフードの発想、ひいては玄米を食べることの意味につながってくるのです。

脚気は「ミトコンドリアエ場」のトラブル

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脚気は、江戸時代中期、都市部で白米が普及したことで蔓延した病気です。脚気にかかると、倦怠感や食欲不振、むくみ、下肢のしびれなどが起こり、「ブラブラ病」と呼ばれるほど、気力・体力が奪われ、仕事もままならなくなりました。

最悪の場合、生命を落とすこともありました。その後の研究によって、精米することでビタミンB1が豊富に含まれる糠や胚芽が取り除かれてしまうことに原因があるとわかってきましたが、なぜ脚気とビタミンB1欠乏が関係してくるのか?

カギを握るのは、細胞内のエネルギー製造工場、ミトコンドリアです。コメの主成分である糖だけ補給しても、ミトコンドリアの工場は稼働しません。

糖が取り除かれることでビタミンB1が不足していれば、エネルギーが十分に生産できず、細胞の代謝が滞ってしまいます。

「倦怠感」や「食欲不振」といった脚気のもろもろの症状がエネルギーの不足した結果と考えれば、決して不思議ではありません。要は、生活が豊かになり、食べやすい白米が広まったことで江戸庶民はビタミンB1の慢性欠乏に陥り、ミトコンドリアで十分なエネルギー代謝ができなくなったのです。

とはいえ、ビタミンB1は豚肉やうなぎにも豊富に含まれます。実際、戦後に肉食が普及してからは、脚気が社会問題になることは、ほぼなくなりました。近年の若者の無気力を一種の脚気症状ととらえ、慢性的なビタミンB1欠乏が原因だとする意見もありますが、いずれにしても「玄米を食べれば改善できる」という言い方は成り立ちません。

ビタミンB1をたっぷり摂取したいならこちら

「玄米食」は日本の伝統食ではなかった

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日本人は植物を上手に摂取する術を身につけていくことで、心身を穏やかにし、なおかつ芯のある生き方、つまり「ハラの据わった生き方」を実現してきました。

とは言っても、昔の日本人が「完全なべジタリアン(ヴィーガン)」だったわけではありません。彼らは魚も食べていましたし、時には肉も口にしたでしょう。

身近にあるものを食べていただけで、「植物をたくさん食べたほうが健康になれる」という考えは、ほとんど持っていなかったはずです。

また、意外にも、完全な「玄米食」だったわけでもありません。きね精米技術が確立するまでは、白に脱穀したコメ( つまり玄米) を入れて杵で繰り返し搗くなどして籾をはがし取っていましたから、搗くうちに糠や胚芽が部分的に削れることも多くありました。糠が部分的に削れたそのコメは「分づき米」と呼ばれ、白米に近い状態になっています。

江戸時代などに庶民が食べていたのは、厳密にはこの分づき米だったでしよう。いまスーパーで売られているような玄米が主流だったわけではないのです。

「玄米食の歴史は古いものではない」ことの証でもあります。「コメは、精製せずに食べたほうが体にいい」と昔から考えられていたわけではなく、それは明治時代以降に生まれた新しい考え方なのです。

その意味では、「近代化の産物」と言えるでしょう。玄米食の効用が最初に注目されたのは、明治末期から大正時代にかけてですが、その背景にはいくつかの要因が絡みあっています。

1 つは、精米技術が進んだこと。そして「健康とは何か? 」「ヒトは何を食べるべきなのか? 」という点について深く考える人が増えてきたこともここに関与しています。

近代化の波が押し寄せ、玄米食の効用に目覚める日本人が現れたのです。ヨーロッパから栄養学が導入され、肉や乳製品の効用が説かれるようになる一方、これとは別に、東洋医学的な発想をベースにした「食養」の考え方が生み出されたのもそうした動きの1つでしょう。

「玄米菜食」はこの食養の核として位置づけられるもので、戦後に広まるマクロビオティツクの源流にもあたります。この当時、なぜ、こうした食養が説かれるようになったのでしょうか?ここに関係してくるのが、当時、死病と怖れられていた脚気という病気でした。