まずいものでは元気になれない

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すべての食べ物に固有の「生命」が宿っていることを考えれば、ほかの野菜や果物にも同じことが当てはまるはずです。

大事なのは、こうした視点です。玄米のように発芽させて判断することは難しいでしょうが、硬くてまずい玄米が市場に出回っているとしたら、同じように「生命力が低い野菜や果物」が出回っていたとしてもおかしくはありません。

多くの植物の生命力そのものが落ちてしまっている。それなら当然、それを食べている私たちの生命力も落ちていることになります。結局のところ、ここに大きな問題があるのです。

「病気にかからない」「体調が改善される」ことも、もちろん大事ですが、ヒトを生物の一員であると考えた場合、それ以上のものを欲求している自分がいるはずです。もっと快適に、周囲と調和しながら心地よく生きていきたい。もっと能力を発揮し、自分の可能性を広げていきたい。

自分の本心に従って、自分らしく生きていきたい。生物は食べることでエネルギーを生み出し、快を求めて行動し、増殖しながらここまで生き続けてきました。それが細胞それぞれに宿った「究極の本能」であることを、誰もが心の奥で感じているはずです。

食べることも、食べ物を求めて動くことも、不要なものを排泄することも、すべては「快」につながっています。そうした「快」を取り戻すこと、つまり生命力を回復し、高めていくことが「体が本当に望んでいること」であり、「食事」も、そのような生物に回帰していくアプローチの1つとして重要な意味を持ってきます。

大切なのは、「生命力」という視点であって、玄米菜食を取り入れるかどうかはその手段の1つにすぎません。精製した白米よりも未精製の玄米のほうが「タネ(生命) に近い= 生命力が高い」という言い方はできますが、あまりこだわりすぎると頭でっかちになり、逆に食べ物の生命は感じ取れなくなってしまうでしょう。